作家紹介

水口菜津子(みずぐちなつこ)

京都在住


2000年京都市立銅駝美術工芸高校 デザイン科卒業

2006年京都市立芸術大学 ビジュアルデザイン科卒業

2009年京都市立芸術大学 美術研究科 ビジュアルデザイン科修了

幼い頃から絵、詩作、観察に興味を持つ。
大学在学中に偶然出会ったガリ版との関わりの道のりをガリバントラベラーと名付け、多角的に現代のアートとしての可能性を探求。

[Artist statement]

 懐かしいという感覚は幼い頃から存在する。これは何なのだろうか。思い返すと7歳頃、家にあった雑誌のある写真の特集ページに魅せられた。「洋館」の特集であり、西洋の雰囲気が融合され独自の美しさを持つ世界に憧れを抱き始めた。

 ものごころついた頃から自然の摂理やこの世界の仕組みを知りたいと思いがあった。目に見える部分だけでなく、見えない部分についても大切なことがある。観察をしたり、絵を描いたり、時には詩や文章にする過程は、表面的でない自身の内面が世界をどのように捉えているのか、それらがどう変化していくかを改めて教えてくれた。例えば、絵画はその変化していく当時の記憶を留めてくれる。どんなふうな視点でみつめていたのか、どのような空間で絵を描いていたのかといった記憶ごとである。

 多くの時間を使い、また自身の成長を促すには生業として絵を描くことと社会の需要という循環について考えることが必要だと考え続けた。そして、新しい世界を広げるためにデザインを学ぶのが良いのではないかと高校、大学と学ぶ。しかし、デザインの世界は年々、筆で絵を描いていきたいような自身とは対極にデジタル化が進み、ちょうど良い場所を模索する日々が続いた。そのこともあってか、戦後のレトロな雰囲気で人の手でつくられた微細な跡が残るような有機的なそれぞれの作家たちが醸し出す世界観への憧れが尽きなかった。

 また自然と人工の間や循環、ものの歴史(例えばタンスでもタンスをつくる人、デザインする人、そのパーツをつくる人、またタンスという概念をつくった人というもの)など、絵を描くのは自分のようでいて、本当のところは多様な他者の存在があってのこと、大きな循環の中で、自分が何をできるかなど、特に長い浪人時代に考えた。

 そして10代の終わりに海外へ行ったことで、旅先の膨大な情報を吸収する自分が、長年いる日本について知らないことに気付かされ、まずは足元をみつめたいと決意したこともあった。



 大学時代に、どんなものか知らなかったガリ版探しで、偶然立ち寄り見学させていただいた、サザエさんの台本を制作する不二プリント商会さんにあった石けんの包み紙に竹久夢二のような花が小さく印刷されたのをみた瞬間、ガリ版は自身の好きな世界観にあるものだと確信された。



 そして箱型のレトロな印刷器を手にした私は、どこか懐かしい世界と関わることの安心感を得て、踏ん切りのつかなかったパソコン技術の習得も同時期に始めたのであった。いろいろなことがつながったのだと思う。



 明治時代に発明された「謄写版」は、「鉄ヤスリ」の上に置いた「ロウ原紙」に「鉄筆」にガリガリと製版し、木製の印刷器にセットしてローラーで手動で複写する簡易印刷方法であり、孔版技法でもある。


 大正時代には「ガリ版」という愛称で大衆から呼ばれるほど、人の営みの中に溶け込んでいた道具であり、戦後、日本が発展していくための情報伝達、教育など多方面に大きな役割を担っていた。しかし、時代は流れ、よりスピーディーで便利な機械が発明されていく過程でガリ版はひとつの大きな時代を築いたうえで、役割を終えたといえよう。    

 現在、多様な情報伝達のためのメディアが発展し、多くの人々は、SNSを始め、様々なツールを使って発信、コミュニケーションや人々との関係を築いている。その光景を眺めながら、謄写版も同様の役割があったことや、現在の気軽さとは、相反して、重いヤスリに鉄筆で一文字ずつ刻み、インクに汚れながら一枚ずつ刷って配布していた人々の風景を想像し、現在の景色と重ねてみると、何か、時代を超えて、また変化していく役割があるのではないだろうか、そして、そこに私自身の関われるアートの可能性があるのではと探求を続けている最中である。